自己紹介|共依存の歴史

依存症

私は、毒親に育てられたアダルトチルドレン(AC)です。

親子共依存でした。

そして大人になり、友人や夫と依存先を変えていました。

その間ずっとずっと苦しかったし、孤独でしたが、

その理由が「人に依存しているから」とはまったく気付いていませんでした。

夫がパチンコ依存症になり、

調べているうちに自分の「共依存」にも辿りつき、

今は克服して、楽に生きられています。

自己紹介をかねて、私の共依存の歴史を書きました。

自己紹介|共依存の歴史

・親子共依存

私の実家は田舎にあり、旧家と呼ばれていました。

江戸時代の武家の伝統や格式をそのまま継承したような家で、

年上は絶対、男が絶対、学歴が絶対という価値観でしたから、

私が生まれたとき、女だと知った父はたいそうがっかりしたそうです。

・敷かれたレールから外れることは許されない

物心ついてから父親にはこう言われて育ちました。

・女だから教師になりなさい

・目上の人を敬え、下の者の面倒は見よ

言いたいことは言えず黙ったままの無言の抵抗でも

「わかったのか!返事をしろ」と鉄拳制裁が常の環境でした。

貧困家庭出身だったため、希望する進学を望めなかった母からは…

・学費は惜しまない

・学業と関係のないこと(洋服や趣味)にお金を無駄遣いするな

・嫁に来てから、義父によく学歴の件で小言を言われた

・それでも離婚しないのは、子どものため

・耐えなさい、皆同じだから

地元の国立大学を出て教員となり、公務員と結婚することが一番の幸せと疑わない家。

男女差別、出身部落差別が当然の家。

他の生活様式や文化、新しい価値を認めない家。

しきたり優先で自由が認められない家。

進路を自分で決められない家

「大丈夫?」なんて声かけられない家

そこに自分の意思はなく、求められるのはレールに従った生き方。

・進学

嫌で嫌で仕方なかったが、

家から逃げ出す勇気もなく、手段も知りませんでした。

ここしかチャンスはないと思い、

「奨学金借りてでも行く」と両親を脅して、進学と同時に上京しました。

もちろん、教員免許の取得という条件が付きましたよ。

「やっほー! 解放された!」

でも、今までと同じやり方では友人もうまく作れませんでした。

当たり前です。

生粋の東京っ子やお嬢、北海道・九州出身者もいるなかで

今までのやり方に固執していたら、友達なんてできません。

やっと得られた自由を最大限楽しむため、どんどん自分を変えていきました。

好きな服を買い、化粧や流行も覚え、会話もまず共感から入るように。

なんでも笑い話に、明るく、ノリよく。

「やっぱり地元を出てきてよかった!

価値観は一つでなくて、たくさんあったんだ!

自・由・最・高★」

・友人共依存

さて、首尾よく実家を出られて自由最高!

とばかりは行きませんでした。

一人暮らしなのでただいまを言う相手もいなくて寂しさが募ります。

すると、友人と長電話したり、友人の家に泊まってお喋りしたり…。

今でも酷いなと覚えていることは

友人が夜中もバイトで寝不足だというのに、次の日遊びの約束を決行したこと。

「約束は私の方が先でしょ?」と厳しく言い放ってしまいました。

なぜ「大丈夫?」の一言も、「また今度にしよう」の一言も言えなかったのか。

それは友人の体調の心配よりも、

自分の寂しさを埋めることの方が優先だったからです。

・試練

時は大学 4 年次。就職氷河期。

まず書類・集団面接でごっそり落とされます。

たまに面接や選考が進んでも、

3 週間の教育実習期間に当たれば、不選考でバッサリ。

おーーーん、泣きたいーーー。

けれども、諦めずに就職活動を続けました。

就職氷河期だろうが、なんだろうが、

正社員で就職を決めなければ、私はあの実家にきっと連れ戻されてしまう

それだけは、絶対に嫌だ

そうして苦労して内定をもらえた

会社で出会ったのが夫のまさしでした。

・親子共依存を克服する

ポジティブで思考がシンプルなまさしは、

仕事で悩む私には「比べるべきは昨日の自分」、

母親の共依存に苦しむ私には「他人は変えられないから離れること、

自分の気持ちを書き出してみること」

「親を毒親と思っても悪くない、だってキツかったんでしょ?」

など、ナイスアドバイスをバンバンくれました。

わたし:なお
私:なお

当時の私には目から鱗のことばかり! どうしてそんな思考なのか聞いたら…

夫:まさし
夫:まさし

なおは複雑に考えすぎ。嫌ならやらない、できない自分を否定しない。気楽にいこうよ。

まさしといると自分が楽でいられると思い、付き合うようになりました。

・結婚

自身の家庭環境から、結婚によいイメージを持てずにいましたが、

まさしの希望と、まさしのご両親も公務員で家庭環境も似ているから、

親には反対はされないだろうという打算もあり、

(私の弟は当時の彼女と婚約を反対され別れた経緯があります)

結婚も「親の判断軸」で決断してしまっていました。

この2年後

昇進できないストレスからまさしはパチンコ依存症になり、借金500万円をつくります。

・夫への共依存

長男を出産後、ワンオペ育児に耐えながら家事・仕事・

初孫誕生により豹変した義両親をあしらいながら

なんとか、まさしのモラハラ・自己中を我慢しながら生活していました。

母と同じく「よくあること、皆同じ」と思いながら。

でも、これって「共依存」でした。

借金の発覚と同時に、我慢に耐え兼ね離婚を口走ったものの、

「オレの方が収入はあるから親権もオレだ」

「離婚してどうすんの? みじめだよ」

「離婚するなら自殺する」

「親に言うなら失踪する」

とか夫に言われ、また一人で抱え込み、泣き…。

その間、人に言えない悩みなので検索魔になり情報を集めました。

すると、離婚しても親権は母親が有利で、

金銭面的にも数々の支援策があるためおそらく大丈夫そうなことが

わかりました。(ぜいたくはできないですが)

それで再度離婚したいと冷静に話し合うと、

なんと夫が「治療するから離婚しないで」と折れ、

治療への道が拓かれました。

今まで散々嘘をついてきた夫を全然信じていませんでしたので、

法的手段を執れる「離婚協議書」を作成し、

今度パチンコや借金をしたら、即離婚に応じる、養育費の強制執行も認める

と保険をかけ、精神の安定を図りました。

でも人ってすぐ変わるわけではありません。

そのときはこの「離婚協議書が目に入らぬか~!!」バリに

「私は離婚がいいと最初から言っている」と脅しまくって

夫を従わせていました。

そうして1カ月たち喧嘩が減り、2~3カ月たち落ち着きが生まれ、

半年経つころには借金の存在を忘れるほど、平和になっていました。

治療の成果が出てきた~☆  借金どんどん減ってく~☆と

見た目平和に暮らすこと約 3 年。

まさしのスリップが発覚。

なぜ??? と再度依存症について調べ直したら、

「共依存」や「イネイブリング」に辿りつきました。

※イネイブリング=家族が依存症者にしてはいけないNG行動のこと

なんと…親にされて嫌だった「我慢」や「コントロール」

夫にもやってしまっていました。

まさしの助言により一時的に共依存をやめられていたものの

知識なしのまぐれ当たりです。

私もある意味スリップしたのでしょう。

我慢やコントロールしながら感じていたことは、苦しさ」でした。

そして、夫とも何度も話し合って、

本格的に依存・共依存の知識をつけて、

私は我慢やコントロールをしないよう、苦しさを手放し、

夫は罪悪感を手放しました。

あれから 1 年と少し、本当に心から楽になれました

毎日見る景色が美しいです。

旅行に行き、もっとたくさんの美しい景色も見たいという欲も出てきました。

今は借金でお金がないので、コスパがよい子どもの教育を全力で模索中です。

【中国】九寨溝-写真ACより

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